『ハムレット』1

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                              1シェイクスピアとその時代 ハムレットとは何か

                               2「生きるべきか死ぬべきか」 

                             言葉遊びと翻訳家の戦い 構成について

                               3二人の女 オフィーリアとガートルード

                               4ハムレットは太っていた?さまざまなハムレット

使用テキスト

白水Uブックス シェイクスピア全集『ハムレット』小田島雄志 訳

シェイクスピアとその時代 ハムレットとは何か

 

シェイクスピアは1564年に生まれて1616年に亡くなっています。「人殺しいろいろ」と、覚えやすいごろあわせですが、それぐらい人が死ぬ話をたくさん書いていますね。シェイクスピアが亡くなった年に日本では徳川家康が亡くなっています。またハムレットが書かれたほぼ同時代1603年には歌舞伎のもとになった阿国歌舞伎、出雲の阿国(出雲阿国いずもの おくに)いう巫女が創始し歌舞伎のもとになった芸能が京に初めて登場しました。

 

イングランドのストラトフォード・アポン・エイヴォンで生まれたシェイクスピアは18歳の時アン・ハサウェイ(女優のアン・ハサウェイの名前はこの人が由来なのだそうです)と結婚し20歳をこえるころには3人の子持ちになっていました。それから彼は突如姿を消します。というかどこで何をしていたか全く消息がつかめないんですね。妻子を田舎に置いてどこかに行ってしまった。8年ほどの空白の後28歳ごろに突如ロンドンに姿を現します。その頃はすでに人気のある劇作家として活躍していたということが分かっています。

 

それほど教育も高くない田舎生まれのウィリアムとあのシェイクスピアは本当に同一人物なのか。

 別人説もたくさんあります。

その正体は哲学者のフランシス・ベーコンだったとにらんでいる研究者がいます。当時は劇作家の地位が低かったので文学者や哲学者がペンネームを使って隠れて劇を書いたことが結構あったのです。でもベーコンは劇が大嫌いだったそうですが。

 なかでもオックスフォード伯爵という人がシェイクスピアの正体ではないかという説はとても有力なのですが、なぜか伯爵の死後も作品が発表されていましてね。

またエラリークイーンみたいに複数いたのだなんていう説もあります。

 

シェイクスピアは地球座(グローブ座)を本拠地とする「宮内大臣一座」のちの「国王陛下一座」の座付き作家で、生涯で37本の戯曲を書き、晩年は自分の出身地でもっとも大きな家を建てたとされています。しかし作家として稼いだお金はじつはごくわずかで、商売にも才能があって宮内大臣一座の株主として、それも中枢のメンバーとして興行で儲けたそうです。

 

 

シェイクスピアが活躍した時代はルネッサンス文化の最盛期から爛熟期でした。古代文化の復活という形を取って様々な芸術や学問、科学技術が大発展し、近代的な「個人」という意識がめざめました。中世から近代へと移り変わる時代です。「ハムレット」が書かれた正確な年は分かっていませんが1599年から1602年の間に書かれたといわれています。1598年にはなかった、でも1602年にはあった、ことはわかってる、という事です。

なかでも1600年から1601年に間に書かれたという説が有力ですが、1600年にその時代を象徴する大きな事件が起きました。ジョルダーノ・ブルーノという哲学者が処刑されました。どういう人かというとコペルニクスの地動説をさらに推し進めて宇宙の無限を唱えたのですね。そうしたらキリスト教が激怒しましてね、宇宙の中心に地球があるというギリシア思想がキリスト教に深い影響を与え、神学体系に組み込まれていました。聖書に太陽が動くと書いてあるじゃないか、聖書を否定するなんてけしからん、と処刑してしまったのですね。いまでは考えられませんが。

 

それまで中世カトリック教会というのは社会にものすごく力を持っていた、絶対的な存在だった。しかしずっと太陽が動いていると思っていたものが、実は地球が動いている、ということがわかってきた。天と地とがひっくり変える位、それぐらい人々の精神は激動の変化を迎えていた時代だったのです。

 

そのことが象徴的に表れているといわれているセリフがありまして、第一幕の第一場一番最初のバナードーとフランシスコーのセリフです。8ページをみてください。最初の場面です。

 

バナードー「だれだ」

フランシスコー「おまえこそ誰だ? 動くな、名を名乗れ」

 

一見現代の我々から見たらどうってことないセリフです。でもちょっとおかしい。というのは歩哨に立っているのはフランシスコーです。バナードーは見張りを交代するためにやって来た。だったらバナードーはそこにフランシスコーがいることは知っているはずで、「だれだ」という台詞は本来はフランシスコーのセリフでなければいけないはずです。

これは単なるミスではなく、そこに大きな意味があるのだと多くの学者は考えていて、中世から近代への移行、すなわちそれまでは「絶対的な神の存在なしでは人は存在できなかった」、から「自分で考え自分で存在することができる」時代へとかわりつつあるのだ、「お前は誰なんだ」「オレは誰なんだ」という意味がこめられているのだ、というのです。

 

「ハムレット」は初は復讐劇だったのが、本当に復讐してよいのかと悩む内面劇にかわっていきます。

この作品は存在の研究をするもの。「人はなぜ生きるのか、いかにして生きるべきなのか」という哲学を説いたものだ、といわれています。

 

 

シェイクスピア作品はそのほとんどがオリジナルではなくて、元になった話があります。このハムレットでももともとは北欧の民話だったものを、トーマスキッドという人がハムレット王の物語「原ハムレット」と呼ばれるものをつくり、シェイクスピアがアレンジして「ハムレット」を完成させました。現代のルールだとほとんど盗作になるでしょうね。(シェイクピアを「偉大なる盗作作家」と呼ぶ批評家もいるぐらいです)

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さて当然みなさん読んできていると思うので蛇足でしょうが、あらすじはハムレットは父親である前の王の亡霊から秘密を打ち明けられる。その弟であるクローディアスが自分を殺し、ハムレットの母親と結婚し王となってしまった。だからかたきを取ってくれ。復讐を決意し恋人と別れるものの、なかなか行動に移すことができない。思い悩んだまま時は過ぎ、人々はどんどん死んでいき最後はみんな死んでしまう、というものです。

 

なぜ彼はなかなか復讐しないのか、そこには古今東西の学者たちによって様々な議論が行われてきました。

こんなことを真面目に言っている学者がいます。

「復讐をしてしまったら、劇が終わってしまうから」

そりゃそうだろ、という感じですが。

それはともかく単なる復讐劇ではないといわれています。

 

第一幕第5場 P64

「今世の中は関節が外れている、浮かぬ話だ。それを正すべくおれはこの世に生を受けたのだ」

 

個人的な感情ではなく、世の中の不正を正そうとするわけです。聖書にはこういう言葉があります。今村昌平の映画のタイトルにもなりましたが「復讐するは我にあり」新約聖書(ローマ人への手紙・第12章第19節)つまり復讐は個人がやるのではない。神が行うのだ、ということです。

 

ハムレットは、だったら自分は神にならなければいけないと考えるわけです。作品中ヘラクレスと自分や登場人物を比較するセリフがいくつも出てきます。ヘラクレスはギリシア神話の英雄で、「十二の功業」という自分がかつておかした殺しの罪を償う為に12 の困難な 仕事をおおせつかる。さまざまな試練を乗り越え、最後は神になる。また同時に優れた知性の持ち主で知識人のモデルでした。そんな偉大な英雄ですか、ハムレットも復讐できる資格を持つためには、神の代わりになって鞭をうつわけですから、ヘラクレスのように気高い存在にならなければいけない、しかしなかなかなれない、臆病だから、オフィーリアへの肉欲から離れられないから、とにかく大いに悩むわけです。

 

3幕第2場でクローディアスが懺悔しているところにたまたま通りかかるシーンがあります。大きなチャンスだ。しかしそこでも復讐を実行に移さない。それは神さまと自分の罪を向き合っているときに殺したら天国に行ってしまうだろう。それでは復讐にはならない、と考えたからです。

 

悩みに悩みぬいたハムレットですが

 

5幕第2場 233ページ一番最後のセリフ

「その必要はない。前兆などいちいち気にしてもはじまらぬ。雀一羽落ちるのも神の摂理。来るべきものは今来れば後には来ない。後で来ないならば今来るだろう。今でなくとも必ず来るものは来るのだ。なによりも覚悟が必要。人間、すてるべきいのちについてなにがわかっている。とすれば、早くすてることになったとしても、それがどうだというのだ?かまうことはない」

 

「構うことはない」の原文はlet beです。

 

最初は憂鬱なハムレットだった。

第二段階では復讐の熱情に苦しむハムレットだった。To be, or not to beです。

 

第三段階になって「let be」人事を尽くして天命を待つという悟りの境地に達するのです。

 

 

 

 

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読んだことのある人も多いと思いますが、フロイトという「夢判断」とか「精神分析入門」を書いた有名な心理学者が唱えた「ハムレットはエディプス・コンプレックスを抱えている」という説は20世紀に大きな支持を得て、演劇界にも大きな影響を与えました。

 

エディプス王(オイディプス王)の話はギリシア神話で、ある王様のもとに男の子が生まれた。しかし占い師から「この子は将来父を殺し、母を犯すことになります」それを恐れた王様は赤ちゃんを殺すことを家来に命じる。家来は殺すことができずに田舎の農家に預ける。あかちゃんはすくすく育って強くたくましい青年に成長した。ある日街に出て一旗揚げようと向かう途中、崖に面した小さな道で、馬車が向こうからやってきてね「どけ」「おまえこそどけ」で喧嘩になって、馬車に乗っていた人を殺してしまった。実はその殺した人はお忍びでどこかに行こうとしていた王様、つまり父親だった。オイディプスは街に出て出世して未亡人だった王妃と結婚して王様になった。しかし王妃が実の母親で、殺したのが実の父親だったと知り愕然とする、という話です。

 

ここから「男の子というものは、母親を自分のものにしたくて、父親を憎むのである」というエディプスコンプレックスをフロイト先生が唱えました。

 

ハムレットもしかり。確かにマザコンの強い男ですね。第3幕でガートルードを責めたてるシーンはクライマックスですが、母親にひどいこと言っちゃったなあ、と男性のみなさんは多かれ少なかれ身に覚えがあるかもしれません。(女性のみなさんもいつか結婚して男の子ができるとそうなりますからね。)

 

さてハムレットはエディプス・コンプレックスを抱えていた。クローディアスという人間は、父親を殺し、母親と結婚した。まさに自分がしたかったことをやってのけた男である。すなわちクローディアスを罰することは自分を罰することである。だから復讐をためらってしまうのだ、というわけです。

 

 

 

いま私が申し上げたのは一つの解釈です。いろいろな人がいろいろなことを言っていますけれど、どの考え方を支持するかはみなさんが自分で決めればいいことですし、今後出会う演出家の考え方によっても違ってくるでしょう。これから読み進めながらハムレットの世界を一緒に旅していきたいと思っています。

では第一幕から読んでいきましょう。

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