第4回「お気に召すまま」

 

使用テキスト

新潮文庫『お気に召すまま』福田恆存 訳

 

1、男だけの舞台

 

「お気に召すまま」は1599年から1600年に書かれたものと言われています。「ハムレット」と同じころですね。シェイクスピアの作品のほとんどには元になったものがありますが、トマス・ロッジの「ロザリンド」を下書きにして書かれました。毎回言ってますけれど基にするというのは今の感覚ではほとんど盗作になるのですが、この「ロザリンド」という作品は詩と小説の中間の散文でした。1590年に書かれて版も重ねられていたことから人気のあった作品と考えられます。1590年と言えば10年前ですから、それほど間を置かず出版されたわけです。現代の常識では考えられないですね。

 

初めての公演では老僕アダムをシェイクスピア自身が演じたと言われています。

 

 

 

私ははじめてこの作品を読んだときに腑に落ちないことが二点ありました。一つはいくら変装しているとはいっても実の娘や好きな女性が目の前にいてわからないわけないだろう。

 

もう一つは羊飼いから思いを寄せられるフィービに対する態度。彼女は器量がよくないのにプライドが高いところをロザリンドは反感を覚えるわけですが、それでも「女と結婚するとは君と結婚するから」といって呼び出しておいて「実は私は女だから君とは結婚しません」というのはあまりにもひどいではないか。

 

この二点が納得いかなかったんです。

 

しかし蜷川幸雄さんの彩の国シェイクスピアシリーズをみて、ああこういうことかとすとんと腹に落ちたんです。

 

その作品では女性が一切出演しない。男性が女性のキャストを兼ねています。ロザリンドが成宮寛貴さん、シーリアが月川勇気さん、オーランドーが小栗旬さんで、それでなるほどと思いましてね、本来の姿はこういう感じだったんだなと。つまりシェイクスピアの活躍したルネッサンス時代のイングランドには女優というものがいませんでした。演劇はすべて男性が演じる。女性役は声変わりする前の少年俳優が演じていました。

 

現代のわれわれはリアリティというものをとても重要視していますが、本来の演劇というものはリアリティからかけ離れたところにあったのかもしれないと、もちろんリアリティは大切ですが、根っこの部分を時には見直してみれば何か大きなヒントになるかもしれません。

 

フィービは山下禎啓さんがグロテスクに演じていましたけれど、男性が演じているものだから「ひどい」という印象はかなり和らぐし、本で読んでおかしいと感じたところも納得できてしまう。

 

蜷川幸雄さんを知らない人はいないでしょうが、毎回蜷川さんの舞台を見て驚くのですが、思いもよらなかった演出をする。しかも単に奇抜なだけではなくてシェイクスピアにより近づいているように感じることができる。理解が深いんですね。

 

古典を現代にやるときに新しい解釈とか今までになかった演出というものは必要ですけれど、その反面原作に対する深い理解というのは絶対に必要だなと私は思います。「十二夜」でお話した野田秀樹さんもそうですが、まったくかけ離れたものを創っても、一流の芸術家は根底では深く原作を理解していますね。

 

 

 

主人公はロザリンドという娘。彼女の父親は公爵でしたが弟と喧嘩して追放され、現在は弟が公爵としてこの地を治めています。彼女は元公爵の娘シーリアと仲が良かったためにこの地に残ることを許されて、公爵やシーリアと共に住んでいます。しかしちゃんとした理由はなくおそらく気まぐれなのでしょうが叔父の公爵からある日突然追い出されてしまいます。

 

 

 

オーランドーという騎士の三男がいて、父親の死後兄からその高潔な生活をねたまれて奴隷のような生活を強いられている。レスリングの大会で勝ったのはいいけれど、彼の父親が元公爵のかつての敵だったことがわかり、オーランドーも追放されてしまう。

 

 

 

二人はアーデンの森に逃げ込みます。アーデンとは「アルカディア(Arcadia)と「エデン(Eden) どちらも「理想郷」という意味ですが、この二つの語を合成したものと言われています。

 

宮廷での生活と森の中での生活の対比。都会の生活に疲れた人間が田舎で人間らしさや生きる力を取り戻す、というつまり現代でもよくあるテーマです。

 

このアーデンの森が「異界」であると解釈されていて、この中に入れば人間は正気を失ってしまう。だからさきほど申し上げたような矛盾点、ロザリンドの招待を見抜けないなどのおかしなことが起こりうるのだと主張する学者も多いです。

 

みんな森の中に入ってくるときはヘロヘロになっている。老僕のアダムは死にそうになってます。しかし森の中で元気を取り戻していきます。

 

 

 

ロザリンドとオーランドーはレスリングの試合の時に顔を合わせていて、その時にお互いに一目ぼれをしますが、宮廷では何もなく別れます。

 

二人とも追放されてアーデンの森に逃げ込みますが、そこでロザリンドはオーランドーが自分に恋をしていることを知る。そして彼女は正体を明かさずに彼に近づき、恋愛の指南役を買って出るふりをして、自分に恋をささやかせるわけです。

 

 

 

ロザリンドか男性に変装するということで、性の逆転がおこるわけですが、シェイクスピアの時代のイングランドでは女性役は少年俳優が演じていました。だから男性のふりをする女性を男の子が演じるという複雑な性の逆転が起こっています。

 

性が逆転する、という作品はほかに『十二夜』のヴァイオラや『ヴェニスの商人』で裁判官に変装するポーシャなどがいます。

 

 

 

余談ですが私は大林宜彦監督の転校生という映画が大好きなで生涯のNO1の一つなのですが、(前回は「市民ケーン」だといいましたが)、体だけ女の子になってしまった男の子が女の子らしいふるまいをわざとらしくする、それを実際は女の子である小林聡美さんが演じている、というシーンが見事でした。

 

 

 

最終的には4組のカップル

 

つまりロザリンドとオーランドー、いとこのシーリアとオーランドーの兄のオリヴァー、道化のタッチストーンとオードリー、羊飼いのシルヴィアスとフィービが結ばれるハッピーエンドの喜劇に分類される作品です。祝祭喜劇と呼ばれています。

 

 

2”fool”について

 

シェイクスピアには ”Fool” 「道化」「フール」「阿呆」などと呼ばれるものが登場します。

 

この作品ではタッチストーン。『十二夜』のフェステ、『リア王』は道化とともに放浪に出ますし、それ以外にも『アテネのタイモン』『テンペスト』『冬物語』『終わりよければ全てよし』などフールが多々登場します。

 

このフールという存在はいったい何なんだと疑問に思った方も多いのではないでしょうか。

 

彼らは宮廷道化師と呼ばれ王侯・貴族から雇われていた存在でした。

 

もともとローマ時代、奇形のひとたちを魔除けやマスコットとして売買されたのが発展したものといわれています。フールはヨーロッパじゅうに広がっていきました。世界中にこのような存在がいてインドでは祭りの時に上流階級や大地の女神に悪態をつく人々がいて、日本にも酒の席で芸を見せたり、主人にお世辞をいって盛り上げたりいい気持にさせたりする「幇間」(ほうかん)とか「太鼓持ち」などと呼ばれる人々がいました。落語によく出てきますね。

 

ヨーロッパに広がったool”ですが、それは”sly fool””dry fool”に分かれていきます。

 

“dry fool”とは笑いの的になる愚者。

 

それに対して”sly fool”というのは「悪賢い愚者」”fool”そのものは知恵者で、風刺などをする存在。シェイクスピアに登場する”fool”たちも世の中を一般人とは違ったものの見方で鋭く斬り込んでいきます。

 

服装もほかの召使と同じであるかまたはいかにも道化師という感じで、まだら模様のコート、ロバの耳の付いたフード、道化の帽子と鈴といった格好をすることが多かったようです。ペットやマスコットのような扱いで音楽やジャグリングを披露したり、そして主人の悪口をいうのも大切な仕事でした。当時のヨーロッパは悪口は言われた人から言った人に不運が移ると考えられていました。主人の身代わりだったんですね。

 

あまりに口が悪すぎて追放されたアーチボルト・アームストロングのような人もいました。彼の言葉はきついけれど人気があり、のちに出版されました。

 

その他に”fool”大きな役目として誰も言いたくない悪い知らせを伝えるというのがありました。有名なのがフランスのフィリップ6世の道化ですが、1340年にスロイスの海戦でフランス軍はイングランド軍に大敗を喫しましたが、そのとき

 

「イングランドの船乗りはフランスの船乗りのように海に飛び込む勇気は持ちあわせていないのです」

 

とユーモアを交えて伝えたそうです。

 

 

 

そんなフールの時代も終わりを迎えます。時代がかわりまして護国卿オリヴァ―・クロムウェルのイングランド共和国の時代になると演劇そのものが冷遇され、役者たちの多くはアイルランドへと移っていきました。そんな時代のなかで”fool”も衰退していったのです。

 

”fool”は神に触れることのできたもの、神聖なものとしてほかの人たちにはできない自由な言動を許されていました。

 

賢者の愚行を馬鹿の知恵によって解決する。

そんなフールのお話でした。

 

3、原文に触れてみよう

 

 

 

ふさぎ屋のジェイキス。

 

もしこの作品にジェイキスが登場しなかったとしても、物語はちゃんと成立します。

 

重要な役とは言えないかもしれませんが強烈な印象を残します。

 

ラストの大団円でも「悔い改めた人間にこそ学ぶべきものがある」と幸せに浮かれる人たちに一人だけ背を向けるという、なんとも変わった、それでいて魅力的な人物でした。

 

 

 

 

 

「全世界が一つの舞台」

 

 

 

シェイクスピアの数ある名言の中でも、最も有名なものの一つです。

 

このセリフを脇役のジェイキスが言っているのも面白いですね。

 

人間の人生を描いたセリフを、すこし長いですが原文で味わってみましょう。

 

 

 

第2幕7場 JAQUES のセリフ

 

All the world's a stage,And all the men and women merely players:They have their exits and their entrances;And one man in his time plays many parts,His acts being seven ages.

 

merely=単に~に過ぎない exits and their entrances=出口と入口 in his time=生涯に being seven ages=七つの時代に分けられる

 

全世界が一つの舞台、そこでは男女を問わぬ、人間はすべて役者に過ぎない、それぞれ出があり、引っ込みがあり、しかも一人一人が生涯にいろいろな役を演じ分けるのだ、その筋は全場七つの時代に分たれる……

 

 

 

At first the infant,Mewling and puking in the nurse's arms.And then the whining school-boy, with his satchel And shining morning face, creeping like snail Unwillingly to school.

 

Mewlingmewlの現在分詞。弱々しく泣く puking pukeの現在分詞。(食べたものを)吐く nurse =乳母 whining=すすり泣きの声 satchel=学生かばん creep=這う snail=かたつむり Unwillingly=いやいやながらの 

 

まず第一に幼年期、乳母の胸に抱かれて、ぴいぴい泣いたり、戻したり、お次がおむずかりの学童時代、鞄をぶらさげ、朝日を顔に、蝸牛(かたつむり)そっくり、のろのろ、いやいや学校通い、

 

 

 

 And then the lover,Sighing like furnace, with a woeful ballad Made to his mistress' eyebrow. Then a soldier,Full of strange oaths and bearded like the pard,Jealous in honour, sudden and quick in quarrel,Seeking the bubble reputation Even in the cannon's mouth.

 

Sighing=ため息をつく furnace=かまど woeful=悲惨な、不幸な ballad=バラード mistress=女主人 eyebrow=まゆ oaths=誓い beard=あごひげ pard=ひょう Jealous in honour=名誉欲に取りつかれる Seeking=探す,求める reputation=うわさ 評判 cannon=大砲

 

その次は恋人時代、溶鉱炉よろしくの大溜息で、惚れた女の目鼻称える小唄作りに現(うつつ)を抜かす、そのお後が兵隊時代、怪しげな誓い文句の大安売り、豹のような髭を蓄え、 名誉欲に取憑かれ、 その上、 無闇と喧嘩早く、 大砲の筒先向けられながら泡のごとき世間の思惑が気にかかって仕方がないというやつ、

 

 

 

And then the justice,In fair round belly with good capon lined,With eyes severe and beard of formal cut,Full of wise saws and modern instances;And so he plays his part.

 

justice=裁判官 fair round belly=太鼓腹 capon=鶏肉  lined=満たされた

 

その後に来るのが裁判官時代、まるまる肥えた鶏をたらふく詰め込んだ太鼓腹に、目つきばかりが厳(いか)めしく、髭は型通り刈り込んで、もっともらしい格言や月並みの判例を並べたて、どうやら自分の役を演じおおす……

 

 

 

The sixth age shifts Into the lean and slipper'd pantaloon, With spectacles on nose and pouch on side,His youthful hose, well saved, a world too wide For his shrunk shank; and his big manly voice,Turning again toward childish treble, pipes And whistles in his sound.

 

shifts=かわる lean=やせた 赤身 slipper'd=スリッパ pantaloon=ズボン spectacles=眼鏡 pouch=小袋、巾着 shrunk=しなびた shank=すね manly=男らしい treble=甲高い

 

六番目はいささか変わって、突っ掛け履いたひょろ長の耄碌時代、鼻には眼鏡、腰には巾着、大事に取っておいた若いころの下穿(したばき),萎びた脛には大きすぎ、男らしかった大声も今では子供の黄色い声に逆戻り、ぴいぴい、ひゅうひゅう震え戦(おのの)く……

 

 

 

Last scene of all, That ends this strange eventful history, Is second childishness and mere oblivion, Sans teeth, sans eyes, sans taste, sans everything.

 

oblivion=無意識 忘れられている状態 Sans=なしに 

 

さて、最後の幕切れ、波乱に富める怪しの一代記に締めくくりを附けるのは、第二の幼年時代、つまり、全(まった)き忘却、歯無し、目無し、味無し、何も無し。

 

 

 

参加者 

松村和亮、佐藤ユミ、南りこ、及川晴喜、岡村ショウジ、

福浦麻子、まついゆか、安藤勇雅、杏樹理、池田諭

 

企画・制作

池田眞也