『ハムレット』3

 

二人の女 オフィーリアとガートルード

 

ハムレットにはたくさんの登場人物が出てきて、小さな役でも魅力的なキャラクターが出てきます。当初私が一番好きな人物はオフィーリアの父親のポローニアスだったんですね。上のものに従順でいるだけ、自分の職務を忠実に果たしていただけだった、それなのに最後は虫けらのように殺されてしまう。そんなところにいまの日本のサラリーマンに通ずるものがあるのではないか。男だったら誰でも感じるような切なさ、むなしさをポローニアスの中に見たのです。

しかしさまざまな研究者たちの文献に触れていくたびに、とても好きになった人がいました。それがこれから触れていく王妃ガートルードです。

「ハムレット」には女性は二人しか登場しません。母親のガートルードと恋人のオフィーリア。この二人について考察していきましょう。

 

シェイクスピアの生きた時代、特にハムレットの書かれた時代はルネッサンスの爛熟期、激動の時代だったと先ほど説明いたしました。移り変わろうとする二つの時代をこの二人の女性が象徴している、という事ができると思います。

すなわち中世・古い時代の人間であるオフィーリア、と近代・新しい時代のガートルード。かたや従順、純潔、女の鏡であるオフィーリア。かたや奔放、自由、欲望に正直な女性であるガートルード。

 

ではまず母親で王妃のガートルードを考察していきます。

ガートルードははたして本当に悪女だったのか。実はこれにもいろいろ説があって、彼女はクローディアスの共犯で一緒になって前のハムレット王を殺した、と主張する研究者もいますが、素直に読んでいくとそうではない。彼女は何も知らなかった。クローディアスが兄を殺したことも知らなかったし、息子の心が復讐に燃えたぎり乱れていることも知らなかった。だから3幕でハムレットがガートルードを激しく攻め立てる時、「なんであなたは怒ってるの。私がいったい何をしたというの、なにも悪いことはしていないじゃない」というリアクションをします。早すぎる再婚ではありましたが不倫をしたわけではない。(これには諸説ありますが)

彼女は罪悪感をまったく感じていないのですね。

 

ご存じのように女性は長い間抑圧されていました。支配する男性とそれに従う女性。中世ではそれが絶対だった、けれど近代という時代に入り、女性だってありのままに生きてもいいではないか、と考える人たちが出てきます。そんな時代に影響されたのでしょうか、シェイクスピアも自由で奔放で強い女性をたくさん描いています。

 

例えば「ヴェニスの商人」で裁判官に変装して名裁きをするポーシャ。

借金が返せなかったら主人公の体の肉をもらう、ということで裁判になったら、ポーシャは「約束通り肉を切ってもよい。そのかわり一滴でも血を流したら傷害罪で逮捕する。」それで悪徳商人シャイロックにギャフンといわせる。

その他にも「じゃじゃ馬ならし」、男性に変装して活躍する「十二夜」などシェイクスピアに登場する女性たちは、ただ男の後をおとなしくついていくだけではありません。

 

ハムレットの父親、先代のハムレット王は息子から見たら理想の父親だったけれど、では夫としてもそうだったのでしょうか。実はガートルードはハムレット王が亡くなってまだ二月ほどしか経っていないのに彼を哀悼するセリフは一言も発していないのですね。

兄のハムレット王と弟のクローディアスを比較してみましょう。

 

 

☆兄 ハムレット王 

軍神マルス

偉大なジュピター

智恵の神マーキュリー

太陽神アポロという神々に例えられている

乱世の王

父権制の長・権威的な男

 

☆クローディアス

平和時の政治家的側面

「王妃が自分の命と魂に結びついている」

 

 

クローディアスは精神的にも肉体的にもガートルードを愛していたわけです。女性をひとりの人間として対等に扱った。

現代の感覚からしたらクローディアスに引かれていくのも分かるような気がしませんか? それでも悪い男とかDVする男ばかり好きになる、という女性もたくさんいますが。()

 

彼女は決して悪人ではなかった。まるで少女がそのまま大人になったように。自分自身に素直であったにすぎなかったのではないでしょうか。

とても心の優しい一面もありました。友人のギルデンスターンとローゼンクランツにハムレットの様子を探ってくれ、と頼むところでは息子を心から心配して、家来の二人を息子の大切なお友だちとして扱っています。

レアティーズとの決闘のシーンでは息子が立ち直ってしかも勝ちそうになる。するとはしゃいで息子のワインを飲んでしまってそれで死んでしまう。

そしてなによりも息子の恋人のオフィーリア。オフィーリアの家はハムレットの王家に比べて身分が低い。父親のポローニアスはどうせ結婚できないのだから交際はやめておけと命ずるのですが、母親のガートルードはどうだったのでしょうか、オフィーリアを埋葬するシーンを見てみましょう。

 

 

5幕第1場p218

「美しい乙女に、美しい花を。さようなら。ハムレットの妻なってくれたらとの思いもいまはむだ。新床を飾るつもりのこの花を、お墓にまかねばならぬとは」

 

 

ハムレットの妻として迎えるつもりだった。新しいベッドに花を飾ってあげようと楽しみにしていた。

またオフィーリアもハムレットの悩みをガートルードに相談しています。慕っていたわけです。

ガートルードとオフィーリアは身分が違う。性格も180度違う。でも心は通いあっていたということがいえると思います。

 

 

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つづいてオフィーリア。

貞淑で理想の娘、女の鏡でした。

兄のレアティーズは「女のたしなみにかけては誰にもひけを取らず完璧であった」

ハムレットに言わせれば「天使」「わが偶像」「美の化身」

そんな非の打ちどころのない女性ですが、ハムレットは彼女がそばにいればどうしても肉欲を抱いてしまう。ヘラクレスのような高貴な存在になれない。だから彼女と別れることを決心します。

 

「尼寺へ行くがよい」

 

有名なセリフです。ここも研究者によってさまざまな解釈がありますので紹介します。

まず「売春宿」という解釈があります。それは原文のNunnery(尼寺)という言葉に売春宿という意味の隠語があり、女性に対する憎しみをぶつけたのだ、とのことです。しかし刺激的な説ではありますが、ちょっとそれは違うだろう。考えすぎだろう、という意見が多数派です。若い学生が聞いたら喜びそうな説ですが、刺激的なものはあまり鵜呑みにしてはいけないですね。有力ではありますが少数派です。ただ蜷川幸雄さん舞台で市村正親さんのハムレットと篠原涼子さんのオフィーリアで彩の国で上演した舞台はこの解釈ではないだろうか、と私は感じましたね。それほど激しく女性に対する憎しみをぶつけていました。

 

私も個人的には言葉通り修道院ととらえたほうがいいんじゃないかと思います。政治の世界の人間ような汚れた存在にならず清らかなままでいてほしいという願望。俺はいばらの道を歩むが、君は心も体も美しいままでいてくれ。

これが二つ目。オーソドックスな説です。

 

いま言ったのに近いのですがもう一つ説がありましてね。男のエゴ。別れなければいけない。しかし他の男のものにはならないでくれ。俺は捨てるがほかの男と付き合ってほしくない。

なんとも自分勝手な奴ですね。

 

 

 

「尼寺へ行け」のシーン。陰でクローディアスとポローニアスが覗いていることをハムレットは気がついているのか、いないのか意見の分かれるところです。小田島雄志さんは気づいていないという主張。気がついていたらはっきりそういうのがこの時代の演劇のルールだ。観客は気がついているが、登場人物は気がついていない。そんなドラマチックアイロニー(観客が承知していて登場人物みずからは理解していない皮肉な状況)がこの面白さなのだ、と主張しています。

気がついている派。どちらかというとこちらが多数派です。

だったらいつハムレットがそれに気がつくか。演出家の腕の見せ所。

例えば鏡があって、そこに国王とポローニアスが隠れている姿が映っているのを見る。松岡和子さんによると「下手な演出家がいかにもやりそうなだめな演出」とのことです。

蜷川幸雄さんは キスシーンを作った。ハムレットがキスをしようとすると、オフィーリア父親に見られているため拒絶する。それでハムレットはオフィーリアもグルであることに気がつく。

112ページみてみましょう。終わりから2行目です。

 

「お返しします。気高い心には、大事であった贈り物も、送り主の心が変われば大事でなくなるもの」

 

松岡和子さんがインタビューで話していたことですが、松たか子さんと真田広之さんと一緒にいるときに気高い心」と自分でオフィーリアが自分で言うのはおかしいんじゃないか、と話したところ、松たか子さんは

「父親にセリフを言わされている、というつもりでやっています」

真田広之さんは

「私もそう思っていました。そこでハムレットは見られていることに気がつき『お前は貞淑か』という台詞につながる、と思いながら演じています」

といわれて松岡さんは目からうろこが落ちたそうです。

 

しかしある別の演出家がこの説を全否定してましてね。いろいろな人がいろいろなことを言っていて、詳しく探れば探るほどわけが分からなくなるのですが。

 

 

オフィーリアは恋人に去られ父を殺され精神に異常を来たし水に身を投げて死ぬ。ミレーやアーサー・ヒューズらによって絵画でも描かれています。

オフィーリアは従順女性でした。女性は男性に従うべきという中世の人間らしかった。威圧的な父親から「赤ん坊にようになれ」と命ぜられ、その通り従った。

要するに堪え忍ぶ人だったのです。to beを選んでしまったのです。Not to beを選んだハムレットに対し、to beを選んだオフィーリア。どちらにも待っていたのは死の運命だったというわけです。

  

 

さていよいよクライマックスの第3幕に移っていきます。

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